本並健治は腎臓破裂を若い頃に経験!ハーフ並みにイケメンな現在の姿は?【画像】

【芸能ニュース】

元プロサッカー選手の本並健治さんが腎臓破裂を若い頃に経験されていたことについて、まとめてみました!

ガンバ大阪、ヴェルディ川崎でレギュラーキーパーとして活躍し、引退後は丸山桂里奈さんも所属していた女子サッカーチームの監督、さらに高校のサッカー部の監督をされている本並健治さん。

2020年9月5日に、東京ガールズコレクションで、丸山桂里奈さんとのご結婚を発表されて、とてもおめでたいことですね!

しかし、若い頃に腎臓破裂するなんて、いったい何があったのでしょうか?

まさたか
まさたか

この記事では本並健治さんが腎臓破裂を経験したこと、若い頃のプロサッカー選手としての経歴、ハーフの噂、プロフィールや実は以前結婚されていたことなどについて、調べてみました。

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本並健治は腎臓破裂した過去があり!

本並健治さんをYahoo!で検索すると、

  • 本並健治 腎臓破裂

というキーワードが出てきますが、これはいったい何なのでしょうか?

調べてみると、本並健治さんはプロサッカー選手として活躍されていた1993年(まだJリーグが発足したばかりのときです)に、所属しているガンバ大阪のGK(ゴールキーパー)として、サンフレッチェ広島と戦いました。

ガンバ大阪のレギュラーキーパーだった本並健治さんは、試合開始時からフル出場していたわけですが・・一本のコーナーキックが本並健治さんを命の危機に落とします。

なんと、コーナーキックを防ぐために本並健治さんがボールをキャッチングしにいったところ、相手チームので田口禎則選手と激しくぶつかり、このときに腎臓破裂の負傷をしてしまったのです!

サッカーってあまり大きな怪我がないように感じますし、実際のケガは発作の系統の症状が多いようです。

そんなこともあり、本並健治さんは同じように試合に出続けましたが、ここで命を救った出来事があります。

本並健治さんが所属するガンバ大阪は延長戦にまでもつれこんだのですが、延長戦開始後にすぐにゴールを決められて敗戦・・。

しかし、これが本並健治さんの命を救うことになりました。延長戦が長引いてしまえば、もしかしたら命が助からなかっただろうと、搬送された病院の医師に告げられたのです!

いやはや、間一髪というか、サッカーの神様が救ったとしか思えないこの出来事・・・。

このときの本並健治さんの腎臓破裂のダメージは大きく、すでに選ばれていたJリーグオールスターの出場はキャンセルとなり、手術で負傷した腎臓の4分の1を失うことになったそうです。

命があって本当によかったです(汗)

そんな本並健治さんですが、腎臓破裂の負傷から異常な回復力を発揮し、約半年後の1994年サントリーシリーズには、ガンバ大阪のレギュラーキーパーとして復帰。

ファルカン監督の指揮する日本代表にまで選出され、活躍することになりました。

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本並健治の若い頃の成績(プロサッカー選手・なでしこの監督)

本並健治さんの若い頃の成績は、プロサッカー選手としてのものと、引退して監督になったときのものに分かれます。

1986年に、ガンバ大阪の前身である松下電機に入り、そこから1998年までガンバ大阪のレギュラーキーパーを務めました。

当時のガンバ大阪はまだあまり強いチームではなく、ディフェンスに不安があったので、本並健治さんの活躍の機会は多かったそうです。

しかし、1996年頃になると、ヨジック監督ともめることが多々あり、レギュラーキーパーには岡中勇人さんが務めることが増えていました。

1997年には移籍を望まれたヴェルディ川崎に移籍し活躍します。

シーズン終了後には、古巣のガンバ大阪からコーチにならないか?と頼まれますが、それを断って選手生活を続けます。

しかし、1998年シーズンでは、菊池新吉選手の控えであったものの、彼が途中で腰痛に悩まされることになり、代わりにレギュラーになりました。

結局、Jリーグの通算出場試合数は、209試合にまで登る、歴史に名を残すゴールキーパーとなったのです。

生い立ち・プレースタイル

本並健治さんは鋭い反応と、攻撃的な守備が持ち味。

ガンバ大阪時代は、チームのピンチを救うことが多かったですが、キーパーに注目が集まるということは、チーム状況があまりよくないわけで、それはあまりいい状態ではない、といった内容のコメントをされることもあったそう。

また、ヴェルディ時代のインタビューでは、

チームが30点取り優勝し、そのうち1点を自分が決めるのが夢

と語っていたそうです。

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本並健治はハーフ?【画像】

本並健治さんはハーフに間違えられるほど顔立ちが整った方ですが、両親ともに日本人の、純日本人の方です。

顔立ちが整っていることもあり、1999年にはJOMO CUP Jリーグドリームマッチに外国人選抜登録選手チーム側で出場したこともあったそう。

確かに、これだけ顔立ちが整っていれば、外国人の中に混ざっていても、わからない可能性はあります・・・(汗)

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本並健治の現在の姿は?子供が2人?【プロフィール】

■氏名:本並健治(ほんなみ けんじ)
■国籍:日本
■生年月日:1964年6月23日(56歳)
■出身地:大阪府枚方市
■身長:186cm
■体重:82kg
■愛称:浪速のイタリアーノ
■プロ時のポジション:
本並健治さんは、2020年9月5日に、元女子サッカー選手の丸山桂里奈さんと入籍されたことを、東京ガールズコレクションで発表されました。

いやーおめでたいことですね♪

本並健治は、実は以前結婚していたことがあり、その方の名前は「美千代さん」といったそうです。

結婚されたのは、1991年のこと、本並健治さんが27歳のときの話です。

ガンバ大阪ではなく、松下電機のときのことですね。

そして、2年後の1993年には、息子さんが生まれていて、お名前を「祐斗(ゆうと)」さんというそうです。

1993年生まれですから、現在27歳、一般の方として生活されていると言われています。

サッカーに関わる仕事はしていないようで、本並健治さんも息子さんについて語られることはほとんどないみたいですね。

父親譲りの整った顔立ちをされているかと思いますが・・・。

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本並健治は丸山桂里奈を嫁に!

上記しましたが、2020年9月5日に、本並健治さんは丸山桂里奈さんとご結婚されたことを、発表されました。

4日に東京都内の市役所に婚姻届を提出したばかりで、まだ同じところにも住んでおらず、挙式や披露宴の予定もまだ決まっていない、とのこと。

こんなご時世ですから、挙式などはまだあとのことになりそうですが、それにしてもおめでたいことに代わりはありません。

馴れ初めについて、丸山桂里奈さんは、「私から好きになって、もともと人柄がとても好きで、今年になってから唇を持っていかれたいな、と思うようになりました((笑)」と語っておられました。

本並健治さんも、ドレスアップした丸山桂里奈さんの晴れ姿を見て、「いつもジャージかユニフォームしか見ていなかったので、とてもきれいで新鮮ですね」と幸せそうに語っておられたそうです。

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まとめ

本並健治さんの経歴について、まとめてみました。

こんなご時世ですから、丸山桂里奈さんの新婚生活はなかなか始まらないかと思いますが、末永くお幸せにされてくださいね!

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