「怪物」とは、2023年に公開されたミステリー映画です。安藤サクラさん、永山瑛太さん、黒川想矢さん、そして柊木陽太さんの4人が主演を務めた当作は、第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞やクィア・パルム賞を受賞するなど非常に高い評価を得ています。
そんな「怪物」ですが、映画中に「気まずいシーン」があると捉えている方も多いようです。果たして気まずいシーンとはどのような場面なのか、気になりませんか。
そこで今回の記事では「怪物」の映画の気まずいシーンについて紹介していきます。
「怪物」ってどんな作品?作品情報を紹介
まずはこの記事で紹介する「怪物」の基本的な情報から紹介します。下記に主な作品情報をまとめてみたのでご覧ください。
- 監督:是枝裕和
- 脚本:坂元裕二
- 撮影:近藤龍人
- 制作:AOI Pro.
- 製作:「怪物」製作委員会
- 公開日:2023年6月2日
- 興行収入:21.5億円
日本で製作された「怪物」ですが、後に世界15カ国でも上映されることになりました。冒頭でも触れたようにフランスで開催された第76回カンヌ国際映画祭で多くの賞を受賞するなど、国内外でも非常に高い評価を集めた作品として世界中で認知されています。
出典:oricon
あらすじ
舞台は大きな湖のある町。
シングルマザーとして息子の湊を女手一つで育てる沙織の近くで、ある日雑居ビルの火災事件が発生する。その火災事件を見ていた沙織と湊、そして教師の保利道敏の3人の視点で物語は進んでいく。
学校で息子がイジメに遭っているのではないかと疑う沙織、学校内でとある同級生と仲良くなった湊、そしてとある濡れ衣を着せられて退職に追い込まれた保利道敏。それぞれの思いと葛藤が複雑に絡み合い、しまいには大勢の大人やメディアを巻き込む大騒動に発展していく––––。
ラストはどうなる?ネタバレ込みで紹介
「怪物」のラストはどのようになるのでしょうか。ネタバレを含んで紹介すると、湊と同級生の依里とともに大人たちの元から逃げ出して、光の中へ走っていくシーンで幕を閉じます。
この最後のシーンを観た視聴者の間では、「湊と依里は死んでしまったのでは?」といった推測も上がっていましたが、製作陣はこの憶測を一蹴し、2人は生きていると明かしています。2人が死ぬような伏線は作中に一切なく、これからも2人で生きていくという意味を込められているようで、決して残酷な終わりではなく希望に溢れたラストシーンだったようです。
3人の視点から描かれるという特徴的な作り
本作の特徴は、湊の母親であるシングルマザー麦野沙織、湊の所属するクラスの担任である保利道敏、そして麦野湊の三人の視点から描かれ、沙織の視点で描かれた問題の真実が保利の視点のパートで描かれ、更に保利の視点で描かれた問題の真実が湊の視点のパートで描かれるといった特徴的な作りになっています。
この映画の作りは、単に特徴的、挑戦的な作りになっているというだけでなく、誤解や嘘によって傷つき、窮地に陥る人の姿を描き、与えられた情報だけを真実と思い込むことの危うさや一人の人間が事の真実をしっかり把握することの難しさなどを強く印象付けています。
気まずいシーンがあるのは
次は「怪物」の映画で気まずいシーンといわれる場面について紹介していきます。「怪物」の映画中で気まずいシーンといわれているのは、湊と依里の関係性が周囲から疑われ始める場面です。
同じ歳の同級生として親睦を深める2人ですが、周囲の同級生や大人たちはその関係が歪んだ関係ではないのかと疑い始めます。決して卑しい関係や変な関係ではなく、あくまで親友として仲を深めていくものの、その距離感や様子を大人たちは不自然に感じるような描写がされていました。
近年、同性愛に関してさまざまな議論が巻き起こっていることもあり、このような作風を「気まずいシーン」と捉えた視聴者が少なくなかったようです。ストレンジャーシングス 気まずいシーンが話題になるなど、近年は幅広い年代の人が見るような人気作でも気まずいシーンが見られることが多いですよね。
「最後は死んだ」という解釈が見られるのはなぜ?
怪物という映画の最後のシーンについて、湊と依里が死んだという解釈が度々見られます。同作の終盤の展開は、父からの暴力で衰弱した依里を湊が助け出し、嵐の中廃電車の秘密基地に向かい、車内に二人がいる中、外は台風が吹き荒れるというものになります。台風が落ち着いた後、廃電車にはレインコートなどが残されているのみであり、湊と依里は明るい光の中手を取り合い、泥だらけのまま楽しそうに草むらを駆け抜けていく……といった形で物語は締めくくられるのですが……。
レインコートが遺留品に見えてしまう
廃電車にレインコートだけが残されているという描写、大人たちが子供二人の姿を見つけることができないという展開は、どうしても二人の死を連想させてしまいます。湊と依里は最後、生きて光の中で駆け抜けていくという姿が描かれているものの、嵐の後の晴れやかな光景、苦境にあった二人が楽しそうに二人で走るという姿が、「苦しい現世から解放された」ようにも見えてしまうのですね。そのため怪物という映画の最後のシーンについて、湊と依里が死んだという解釈が度々見られるのです。
制作側は彼らの生を肯定して終わりたかった
確かなことは、映画の製作側が二人について「生きている」と断言していることです。制作側は怪物という映画の最後のシーンについて、湊と依里が死んだようには見せたくないと制作中から考えており、その徹底っぷりは映画の終盤の展開で僅かなセリフの追加、削除で二人の結末が大きく変わる可能性が指摘される中、編集の段階でわざわざ0号試写から初号試写の間に大きな変更を加えるほどでしたよ。「彼らの生を肯定して終わる」という共通認識があった制作側、確かに苦しい状況にあった子供たちがただ命を落として終わるだけではあまりにも救われませんからね。
制作側の意図が伝わるセリフ
どうしても二人の死亡が過る展開ではありますが、終盤のセリフに依里の「生まれ変わったのかな?」というものと、それを受けた湊の「そういうのはないと思うよ。元のままだよ」というものがあります。あえて死を連想させる「生まれ変わったのかな」というセリフを依里に言わせて、湊にそれを否定させたというところに制作側の思いが詰まっているのではないでしょうか。
見たものがどう思うかが全て
一方で、本作の監督である是枝裕和さんは「光に満ちているから現実離れしているという意見を否定するつもりもない」と語っており、本作の描写の答えとしては「湊と依里は生きている」ということになるのでしょうが、「本作の結末を見て死を連想してしまった」という方の意見自体は否定しないということのようですね。映画はどこまでいっても、見た人の中にどういった感想が生まれたのか、見た人がどのように受け取ったのかが全て、ということなのでしょう。
まとめ
以上、本記事では「怪物」の映画の気まずいシーンについて紹介しました。その他にも作品情報やネタバレを含むラストの解説などもお伝えしましたがいかがでしたか。
さまざまな捉えられ方をしているものの、湊と依里は決して特殊な関係性ではなく、仲の良い親友として描かれています。またラストシーンでは2人は亡くなっておらず、希望を持ったラストだと公式も発表しているだけに、それらのことを踏まえて改めて視聴すると印象がまた少し変わる作品なのかもしれませんね。








